「巳」は陽気が満ち渡る頃、つまり陽気が行き止まることから、よく似た文字の「已む=止む」と解釈されます。また、「巳」は 頭と体が出来かけた 胎児を象った象形文字と云われ、「包」は「勹(つつみがまえ)」の中に「己」と書きますが、旧字体では中に「巳」を書き、「勹」は人が物を抱え込む意味を表わすため、俗説の1つではありますが、「包」は胎児を抱え込む、つまり妊娠を表わした象形文字と云われ、さらに「巳」は十二支中にあって前半の最後に当たることから、これを草木の成長に当てはめると、成長が極限に達し、次の生命(種子)が作り始められる時期、変化が生じ始める時期と解釈されます。
景気を表わす表現にバブルという言葉がございますが、バブルを日本語に訳すと
種子を表わす「包」に「氵」 を付けた「泡」となります。子年に蒔いた種、つまり皆さんの夢や目標に向かって「丑」・「寅」・「卯」・「辰」と努力を続けてきたことが勢いよく成長を続け、辰年は順風満帆な年でありましたが、巳年に至ってその成長が極限に達したということは行き詰った状態、言い換えれば泡が極限まで膨らんだ状態と云えます。変化に気付くことが出来ず、無為無策で今までの勢いに任せていてはいつかバブルは弾け吹き飛ばされてしまい大きな損害を被ってしまいますので、弾けぬよう変化への対応や見極める手段を見つけなければならないと共に、「包」に「扌」を付けると「抱」という文字になることから、次の段階へステップアップするための新しい種(目標・大志)を抱かなければなりません。
その上で泡が弾けないための教えとなるのが、 ドイツの宰相ビスマルクの残した「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」という言葉です。自分が初めて経験する失敗でも、過去にも類似したこと(他者の失敗)が起きており、それを先人たちはどう考え、どう対処したのかを学ぶことにより、自分だけでなく他者の経験も踏まえて正しい判断を得ることで失敗を未然に防ぐことを説いています。
また、新しい種(大志)を抱く上で大切な教えは、孔子の残した「故きを温ねて新しきを知る」という「温故知新」という言葉です。過去の事柄を研究し、そこから新しい知識や見解を得る意味ですが、人はどうしても新しいもの新しいものと目を向けがちですが、新しいものは当然のことながら未知であり多くの不安定要素と労力を伴いますが、古いものとは多くの経験則から導き出され得られた知識であることから、よく研究することでそこから見落としていた安定性を持つ新しい知識、つまり新しい種を自分のものにすることが出来るでしょう。
巳年は今までの努力が泡と弾けたり水泡に帰することが無いよう変化への対応と、安定性を備えた新しい種(大志)を抱くという2つの難題に直面する訳ですが、人類が紡いできた悠久な歴史がその答えを教えてくれることでしょう。